テディベアの歴史2
スポンサーリンク

ドイツではポリオで車椅子生活を余儀なくされたマルガレーテ・シュタイフが象を型取ったピンクッションで評判を得、5人の甥と共にぬいぐるみ作りを本格的に始めていました。

その一人リヒャルトの提案で、手、足、顔の動かせる熊を作り、ライブツィヒのトイショーに、出品してアメリカのバイヤーから3000体のオーダーを受けたのでした。

一方アメリカでは第26代大統領であったセオドア・ルーズベルトの時代。

1902年仕事がてら行ったミシシッピー州て熊狩りを楽しんだのですが、あいにく収穫がなかったため、支持者があらかじめ用意しておいた小熊をしとめるよう勧めると大統領はそれを拒否。この美談がクリフォード・べリマンのイラストと共にワシントンポスト紙に載ったのでした。

ニューヨークで玩具店を営んでいたロシア移民のモーリス・ミットムはそれに目を付け、熊のぬいぐるみを作り、しっかり大統領のニックネームであるテディをつけて売るお墨付きまでもらったとか.そして後にアイデアル社を設立し長年テディベアを作り続けたのでした.こうしてドイツで作られた熊のぬいぐるみもテディベアとして親しまれる事となり、1906~1908年はテディベア・イアーズと呼ばれるほどの大ブームとなったのでした

続く

スポンサーリンク
シュタイフテデイベア
おすすめの記事