延命治療判断の難しさ

延命治療判断の難しさ

高齢の母が入院しました、重篤な病状です

母は元気なとき延命治療は望んでいませんでしたが

実際に倒れると治療の判断が難しいことを知りました

兄弟親族など意見がが分かれます

また医師は治療をすることを勧めます(若い医師ほど)

私は個人的には治療をすることは望みません

一度意識がなくなった時、皆もう一度意識を回復させたいと願いました

私も本音はまた元気なときのように会話できたらと思いました

でもそれはこちら側のわがままなのかもしれないと思ったりします

意識がもどれば、苦しい人工呼吸器で会話はできません

食事も水も点滴やカテーテルの補給で延命します

90歳になる母がこれらを望んでいるのか、悩みます

肉親の一人でも治療を望めばそれを拒否することは

とても難しいことです、医師もそのことは分かっていて

いつも悩んでいるそうです

身内の一人が代表権で判断すればわかりやすいのですが

では誰が?となると指定できません

結論的には一番身近に接していた身内が判断することだと思います

個人的には医療行為で自然に苦しまず静かに永眠できることが希望です

今回こうして、事実として現実を体験すると

自分自身の時もちゃんと文章に書いて意思表示しておかないと

ダメなんだと思いました、もし意識がなくなったら決して治療行為で

意識回復治療はしないこと、カテーテルや延命医療はしないこと

鎮静剤を投与して静かに永眠できることを望むように

書いておかないと、子供達も悩むと思います

急に倒れて意識を失った場合身内は確かにもう一度確かめたいと

願うことは当たり前のことですが、意識の無い患者にとっては

それは苦痛の再現になってしまうこともあります

僕は急に絶命するような時が訪れた時はその時が

寿命なのだと思います、もちろんこれは

80歳以上の方の場合です

僕もあと10年で80歳です、ちゃんと書いておかないと

改めて思いました

 

シュタイフテデイベア